「ペンを持つことで広がる僕らの可能性」by加藤昌治


昔何かの雑誌に載っていたこの記事が最高に好きで、一時期部屋の壁に貼っていた。ネットで探してもこの文章に関する話題は全くないので、一部をテキストにおこして引用。

 ペンを持っていても、いつまで経っても書き出さない人っていますね。くるくる回してるだけだったりして。あれ、とてももったいないといつも思います。書くための道具を手にしながらその本来の機能を使わずにいるなんて!
 とはいえ、ペンの使い方がいつの間にか矮小化されてしまっていることも事実でしょう。真っ白な1枚の紙と1本のペンの使い方があったら、多くの人が左上からスタートするのではないかな……と想像します。全面に罫線が引かれているのであればともかく、一面真っ白であってもたいていは左上から。どうやら文章を書くためのものだ、と使い方が決められてしまっているような感覚?
 あくまでも私見ながら、それはペンの持つ自由度(それがペン本来の機能かどうかは分かりませんが)を殺してしまっていると思います。文章をまとめることだけがペンの使い方ではない。ペンを使って書いたちょっとしたひと言やメモの1行が、とてつもないパワーを持っていると思うのです。
 わたしたち人間はペンを持つことで、いろんな制限から解放されました。特に記憶のマジックナンバー7±2という制限からいつでも脱出できる自由を獲得できたことが、私たちの生活や仕事にとって大きな価値をもたらしてくれたのではないでしょうか?
 例えば、夕ご飯を食べようと思い立ち、さてどこに行こうと考える。記憶だけを頼りにするなら思いつくのはせいぜい5つか6つぐらい。自分のことを考えると10個出すなんて事はまずありません。で、「またいつもとオンナジだなあ」なんて云っていたりする。
 そこにペンの力が加わったらどうなるか。手帳を開けば、あるある……ある。ずらりと並ぶお店リストがそこにはあります。つつーっとゆびでなぞれば「お、忘れてた」の1店が見つかったりします。ペンを持っていることで、選択肢の幅=取りうる行動の可能性がささやかながらも爆発的に広がった瞬間です。
 人間はいたって習慣的な動物だそうです。-(以下略)